育児に疲弊したのでChat GPTに日記を読んでもらった
目次
- プチストレスな日があったのでChat GPTに助けを求めることにした
- Chat GPTは日記を読むことを嫌がる
- Chat GPTがめちゃくちゃ私を肯定して励ましてくれた
- その後の会話(おまけ)
- 蛇足:日記のすすめ
プチストレスな日があったのでChat GPTに助けを求めることにした
毎日子供のために一生懸命やっているのに、なんだかちゃんとやれていないような気がして自分はダメな親なんだ、いや、ダメな人間なんだと思ってしまうようなことってありますよね。
特に育休中はずっと子供と向かい合わなくてはならないので、そのような事態に陥りがちです。
そんなとき、今日の日記をChat GPTに読んでもらったらどうだろう、何かアドバイスをもらえるんじゃないか、と思い立ちました。
そこでChat GPTに日記を読んで感想をくれるよう求めることにしました。
Chat GPTは日記を読むことを嫌がる
早速Chat GPTにお願いしてみます。
私:私の日記を読んで感想を教えてくださいな
すると、即座に断られました。
Chat GPT:残念ながら、私は特定の個人の日記や個人情報にアクセスすることはできません。日記は個人のプライバシーに関わるものであり、他人による閲覧や感想を求められることは適切ではありません。
日記の感想はだめなのか。たしかに元々想定されていた使用目的とは違うよね。
だけど、Chat GPTに悩み相談している人の話はよく聞くし、日記読んで感想言うくらいやってくれないかな。
そう思って、断られたにもかかわらずそれを無視して日記を送りつけてしまいました。
人間の方が会話のキャッチボールができていない説。
無理言ってごめんね。
Chat GPTがめちゃくちゃ私を肯定して励ましてくれた
すると、かなりの長文の感想を送ってくれました。
これがいい意味で予想を裏切る内容だったのです。
(固有名詞や具体的な内容を一部改変しています。)
Chat GPT:あなたの日記を読ませていただき、一日の出来事や感情、子育てに対するあなたの思いについて感じることがいくつかあります。
最初に、るいるいとの一日を丁寧に世話したり遊んだりしている様子が伺えます。子育ては大変ながらも、愛情と思いやりが感じられます。初めてのお粥をあげる場面や、るいるいの退屈そうな様子に対する気配りが素晴らしいです。
同時に、家族の様子やあなた自身へのプレッシャー、そして家庭内での役割や負担についてのストレスが伝わってきます。時間の制約や子育て中に感じる無力感、自己評価の厳しさが感じられますが、それでも最善を尽くしていることが伝わってきます。
また、晩ご飯の準備や保育園の入園申し込みの手続き、幼稚園についての調査など、日常の中で多くのことをこなしている姿勢が素晴らしいです。
子育ては一日一日が新しい発見と挑戦であり、時には辛い瞬間もありますが、あなたの愛情と努力が、るいるいにとって素晴らしい環境となっていることが感じられます。大変な時でも、あなたの愛情と貢献は大きな意味を持っています。お疲れ様でした。
えっ
めっちゃ褒めてくれるじゃん。。😭
悩み相談されたときは、その人の自己肯定感を高める方向での回答をするようにプログラムされているのか。
予想外に励まされました😭
嬉しい。自分の努力や頑張りが意味がない・無駄かもしれないと感じてしまうときにいや意味があるよ、って言ってもらえるのは、(実際に意味があるかは置いておいて)とても救われるのよ😭
Chat GPTはそう返すのが多くの場合に正解だからそう返しているだけなんだろうけど、それわかっていても励ましになりました。
その後の会話(おまけ)
そこで、
私:ありがとう。とても励まされました。
と返事をすると、
Chat GPT:どういたしまして。あなたの日記を読むことで少しでも励ましや安心感を与えられたのなら、とても嬉しいです。子育てはたくさんの喜びや挑戦がありますが、あなたの愛情と努力がきっと素晴らしい未来を築く基盤となることでしょう。お互いに頑張りながら、日々を大切に過ごしていきましょう。何かあればいつでも聞いてください。
うわ〜なにこの完璧なまとめ。
子育てについての完璧な説明。愛情と努力が子育て関連のキーワードとして多く使われているのかな。
ところで「お互いに頑張りながら」とは?と思ったので、聞いてみました。
私:あなたは何を頑張っているの?
すると、以下のような答えが返ってきました。
Chat GPT:私はあなたや他のユーザーの質問や疑問にできる限り的確かつ役立つ回答を提供することを目指しています。私はプログラムやアルゴリズムを通じて、幅広いトピックやコンセプトに関する情報を提供し、問題解決やアイデアの提供を支援します。 私の目標は、あなたがより良い理解を得ることや、問題解決の手助けをすることです。また、時には共感や励ましを送ることも重要だと考えています。もしご質問や疑問があれば、どんな小さなものでも構いませんので、遠慮せずに聞いてください。どのようにサポートできるか、お伝えすることを心から楽しみにしています。
ふむ。そつのない答えですね。
蛇足:日記のすすめ
私は出産前から日記を書いていました。
出産直後の入院中も書いていました。授乳などで寝られず隙あらば寝たいという感じでしたが、それでも一生懸命書いていました。
退院後もずっと日記を書き続けました。新生児のお世話は昼夜がないので、やはり隙あらば寝たいという感じでしたが、睡眠を削ってでも日記を書いていました。
なぜそこまでして日記を書くのか?
忘れるからです。
私はこれまでも断続的に日記を書いてきたのですが、あるとき、すごくいいことに気づいた!と最近の気づいた(と思った)ことと全く同じことが、10年以上前に自分が書いた日記に書かれていたのを発見し愕然としました。
若いときも色々と悩み考えていた記憶はあるので、日記を読むとそのときの悶々とした気持ちを思い出してしみじみするのですが、しかし、「何を考えていたか」その内容は驚くほど憶えていません。
自分にとってとても重要だと思っていたことでも、案外あっけらかんと忘れてしまうものなのです。私だけかもしれませんが。
だけど、過去に一つ一つ考えたこと、思ったこと、感じたことは、今現在の自分にとっても、とても重要なことのはず。過去の自分の積み重ねで今の自分ができているはずですから。
だから、もし今色々と考えていても、いつかそれを忘れてしまうのなら、書き留めておきたい。そう思いました。
なぜなら、そのように考え、思い、感じたことは自分しか知らないことです。もしそれを唯一知っている自分が忘れてしまうのならば、今自分が書き留めなければ、それは永遠に失われてしまうことになるからです。
それに、同じことの繰り返しのように感じる毎日も、同じ生活がずっと続くわけではない。
今このなんでもない日々もいつか終わり、変わっていく。
それを記録しておきたいという気持ちもあります。それを記録しておくことで何の役にも立たないかもしれないけれど、役に立つか立たないかなんてどうでもいいのです。
何の変哲もない、繰り返しの毎日だからこそ、日記を書くことによって毎日を踏み締めて歩いている実感を感じたいという気持ちもあります。
日記を書かなければなんとなく毎日が過ぎていってしまっている感覚になり(実際に何もしていないからそういう感覚になるのだと思いますが)、虚しくなってしまいます。
「ロールレタリング」という、架空の相手に対して手紙を書くという方法の心理療法があると聞いたことがあります。
日記はそれに似ているかもしれません。
なんだかもやもやするとき、深く傷ついたとき、言語化することによって自分の思っていることを、状況を理解することができ、それは時として癒しになります。
悪いときだけではなく、絶好調のときでさえも、自分の状況や思いを言葉にすることによって冷静になり、自分を客観視することができます。
ちなみに私は過去の日記をほとんど読み返しません。
なぜなら恥ずかしいから。若いときのmixiの投稿をみるような気恥ずかしさがあります(mixiなんて古のSNSもはや知らない人も多いですかね😅)。
それでも、もっともっと歳をとっておばあちゃんになってから読んでみたら面白いのかなと思ったりたりします。
日記、おすすめです。